ビチグソ丸
タイトルって思いつかないから空欄でも済むようにしてほしい。
特に書くこともないけれど、ふと思い出して書き始めた。
タイトルは書き出す前に、内容をあれこれ考える前に決めたからなんの意味もない。
そういえば、僕はタイトルが歌詞に含まれる言葉の曲が嫌いだ。
anazarashiはなんとなく歌詞が好きで聴くけれど、歌詞を聞くのは移動中に考え事しながら聞いてるときにふと歌に思考が移ったときぐらい。
そうではなく、amazarashiはわりかし歌詞に含まれる言葉を曲名に持ってくる。特にサビから持ってくるから一番嫌いなタイプ。
『無題』は歌詞には含まれていない(はず)だし、人間の本性を描いたら嫌われたという旨の歌詞は妙にリアルで、そういう生き物だと思っているし、それは中学からだから、特に中学の時から続く自分の思想のが大好きなナルシストな僕には響く。それに、これは僕があまり本や歌というメディアに多く触れていないかもしれないけれど、他はたいていその部分について触れないから、少数派の意見、特別性のある意見という点で更に掻き立てられる。
話は変わって、『一九八四年』を読み出した。新訳版。
『虐殺器官』で伊藤計劃はオーウェルの言葉を『動物農場』から引用している。
そんなわけで僕はオーウェルを読むことにしたけれど、残念ながら『動物農場』は書店に置いていなかったから、とりあえず買った方からということで。
ヴェルヌ(上下巻)、一つ挟んで、ヴェルヌの後に読んだからか、単純に面白いのか最早わからなくなったけれど、とにかく面白い。
ヴェルヌの、自分の持ちうる限りの知識をふんだんにひけらかすような、僕には少々退屈な文章の後にならなんでも面白くなるのか、今度は『十五少年漂流記』を読んだあとにでも検証してみたい。読むかはわからないけれど。
それに、読んだところで少年向けテイストが強いらしいから他とは違うだろうし。
ヴェルヌをつまらないと感じたのには他にも理由がある。
今回読んだのは『海底二万里』と『地底旅行』で、『海底二万里』は『アトランティス 失われた帝国』や『ふしぎの海のナディア』で、ネモ船長やノーチラス号の名前を借りた、よりダイナミックな描写のある映像を観ていたせいで、『地底旅行』も『センター・オブ・ジ・アース 』でもっと地底での凄いエピソードがあるのだろうと期待してしまっていたせいでもある。
しかし、ヴェルヌのせいで翻訳本はつまらないというイメージが付きかけていたという事実は変わらない。
今年からいろいろな翻訳本に手を出すようになって、とりあえず知ってあるタイトルを見つけたら買うぐらいの感じ。
そんな感じで、内容をまともに理解していないくせしてやたらにわくわくしていた小学生以来の『宝島』を読んだり、名前だけで買って、そ「思ってたのと違う!でも面白い!」となった『トム・ソーヤーの冒険』を読んだりしていたのに、ヴェルヌめ…。
『一九八四年』と一緒に似たような、監視社会を描いた本を買ったから早く読みたいところ。
そんなことよりも、『屍者の帝国』を買ってしばらく経つのにまだ読んでいないから読まねば…伊藤計劃が書いたところまでは読んだんだぞ。
と、こんなにわかな本好きになろうとしている人のダラダラとした内容で今回はお開き。