メイドニツイテ
死後の世界という言い方ではどうも格好が悪いので、冥土という言い方をしようとするのだけれど、どうも仏教的すぎる気もする。
死後の世界というのはおそらく誰もが想像したことのあるものなのに、宗教とか各種メディアとかのせいかどれも似たり寄ったりで陳腐に見える。
僕も以前、少しだけ考えた。
今日はそれについて。
考えるにあたって、まず最初に決めておかなければいけないことがある。
すなわち、神(創造主)の存在を認めるか否かである。
神がいないのであれば、超自然的な場でありながら、自然に基づいた環境でなければならない。
要するに生前、善人であったか悪人であったかという ふるいのかけ方ではいけないし、なんなら、1つの世界でも良い。
一方、神がいる場合、恐らくだがふるいにかけるのだろう。
僕は無神論者だし、各種神話及び神についての知識も大して持っていない。
だが、鶏が先か卵が先か、神はヒトが作り出すものなのだから、ヒトに似るはずだ。絵を描いたりすると自然とどこかその絵かきに似るというように。
僕は神がいるという前提で考えた。
しかし、ここで先程と意見が少し変わる。
神がふるいにかけるとして、そのふるいが人間社会の中にあるものと同じとは限らないではないか。
神は神。ヒトはヒト。それぞれに異なる価値観があるはずだ。
なぜなら、ヒトに似ては面白くないからだ。
そもそも、無神論者が神がいるという前提で考えているのだからこんな破綻は大したことじゃない。
先程からGboardの変換は"かみ"と打つと一番に"髪"と出してきて面倒くさい。
さて、ここで以前私が考えた冥土がおかしくなる。
どういった経緯でそうなったかは覚えていないが、「ふるいが違うからみんな天国行きだな」と考えた。
この話最大の疑問点且つ反省点だ。
というわけで、みんな天国に行けることになった。ぜひとも喜んでくれ。
どんな天国かというのもちゃんと考えた。
例えば、家族と当たり障りのない平凡な生活を営むことが幸せだと感じる人にはそれを。
人を殺すことが好きな人にはそれを。
パチンコを打ってることが好きな人にはそれを。
と、永遠にその人にとって幸せな生活が送れる世界。
それが各々に与えられる。
周りに家族等の人が必要なら精巧なレプリカを。
人気の少ない道が必要ならそれを。
パチ屋が必要ならそれを。
幸せな生活を送るために必要なものもそれぞれに与える。
途中で天国であると気づいてしまわないように、それぞれが個別に管理される。
そんな世界。それが、僕の考えた冥土。天国。