隣の芝生は青々として妖艶である
最近は聞かないけれど、中学の時には一時期ラジオにハマっていた。
普通のFMラジオもそうだし、アニメの宣伝用にやってるインターネットラジオも。
ラジオではリスナーからの質問なんかを受け付けることが定番だし、ラジオといえば……というようなイメージの一つかもしれない。
そういった質問は恐らく、いろいろな面を考慮しながら選りすぐりの1枚が読まれるのだろうけれど、あの質問の文はなかなかに良くできていることが多くて感心する。
例えば先述したようなインターネットラジオだと、そのアニメのキャラクターのイメージから、「〜といえば…ですが……皆さんはどうですか。」と質問に至るまでの流れがしっかりしているのだ。
きっと読書感想文なんかも得意なはずだよ。
さて、ラジオの質問は流れがしっかりしていても、このブログはそうじゃない。
ここからはラジオとは関係のない話。だけど、こっちが本題。
『ミッドナイト・イン・パリ』を観た。
正直言って、僕は好きじゃない作品だったけれど、ちょっと思ったことがあった。
この作品は、1920年代に憧れる主人公がタイムスリップして実際にその年代の有名な人物とあったり元の時代に戻ったりを繰り返していく物語なのだが、
作中で1920年代の女性に主人公が「こんな時代よりももっと昔の方が素敵だ」という旨の話をされたり、その女性が良いと言っている時代の人間(女性と一緒にタイムスリップした)から「(女性の良いと言っている)この時代よりも前のほうが良い」と言われるシーンが出てくる。
隣の芝生は青く見えるという言葉があるし、僕もよくそれを実感する。
自分の生きる時代においても同じように。
アニメ、映画、本、ゲーム…といろいろとハマっていくと最終的によく思うのが、「もっと早く生まれていれば」ということ。
もっと早く生まれていればリアルタイムでしか感じられないようなその作品の凄さを感じられたし、それを作った人が生きている時代に生きられるだけでも嬉しいし、他にも喜びはいろいろ得られる。
でも、今回書きたいのはそういうことじゃない。昔は良いなじゃない。
隣の芝生は青く見えるが、見えない芝生は青く見ようもないという話だ。
当たり前の話なのだが、当たり前を発見したことを喜ばずにいられないのが僕だ。
0を文字として発見したインド人はすごいし、重力を発見したニュートンもすごいし、アルキメデスもすごいし、アリストテレスもすごいし、ダヴィンチもすごい……。
兎にも角にもどういう話かといえば、自分の生まれた年だとか、生きている年だとかにおいて、隣の芝生は過去にしかなくて未来にはない。東にはあっても西にはないってことに気づいたって話だ。
僕は伊藤計劃が好きだしそうでなくたってSFは好きだ。
でも、未来の世界に対して「未来は良いよな…」なんてことは思ったことはない。
でも、「昔は良いよな…」っていうのだったら何度もある。
未来に芝生はないけど、過去には生い茂ってるんだよ。
結論を書いたら急に書く気がなくなった。
気づいたんだけど僕は書くこと(結論)を思いついてから、過程をああしようこうしようと想像を膨らませるのに、結論の片付け方っていうのをまるで考えないんだな。いつも。
僕はこう思ったんですけど、皆さんはどう思いますか?
僕はこんなんですけど皆さんはどうですか?
なんてラジオの質問みたいなオチでさようなら。