続いて書く
書くという言い回しが正しいのかはわからないが。
前回からなんと半年ほど経っているという…。
日に日に時間が短く感じるようになっている。
聞いたところによれば新しい体験をするほど一日が長く感じるらしいから、新しいことでも初めて見るのが良いのだろうか。
それほどのことをする価値があるのか。と思ったけれど、時間の少なさを痛感している自分にとって少しでも長く感じられることは良いことかもしれない。
つまらない、教師のつまらない話も良い体験なのだ。
もっとも、そうそう僕がつまらないと思うような話をしてくる教師はいないが。
進路についてああだこうだと言われていろいろとその辺について考えていると、最終的には毎度のように似たところに落ち着く。
つまりこうだ。
楽に儲けて悠々自適に生活を送れないものだろうか。
おそらくは誰もが同じようなことを考えて、結果的にはほとんどの人間が理想とは違った方向へ進んでせっせと働いていることだろう。
ということは、この理想というのはそう自己中心的は手に入らないようだ。
「働くということは傍を楽にすることだ」とひねくれた言い方で諭してこようと高校教諭が何度も同じ文を穴埋めでテストに出してきた。
しかし、僕は自己中心的な思考のもとにこう思うのだ。
「傍を楽にする理由がどこにあるのか」と。
「人という字は人と人が支え合ってできている」と金曜夜八時にロン毛の国語教師が言ったように、人間社会というのはヒト同士の相互作用によって成り立っている。
しかし、それは意図的に関わっているわけではなく、偶然の中で生まれる関係というのもある。
必ずしも人に関わろうとする必要はないのだ。
僕は昼食を誘われても断っているし、部活が終われば周りが話してるのを横目にすぐに帰るけれど、体育で二人組になれと言われれば早いうちに二人組になれる程度の友好関係を維持している。
要するに、高校に於いては最低限の友好関係にとどめている。
友好関係、つまり人間関係をそれほど重要視していない僕にとって「傍を楽にする」というのはメリットを感じず、やはりその意義は謎である。
適当に話題を絞り出して書き出したは良いものの結論というのが見えてこないからもうやめる。
書くという言い回しが正しいのかはわからないが。