中学時代の自分について。

久しぶりにPCの方で書こうとしたら前とは大きくUIが変わっているじゃないか。

どちらのほうが書きやすいかは置いておいて。

 

文字をでかくしたりすることも億劫だから今回は雑になるな。

そもそも、これを読んでいる人なんていないと踏んでいるのだから、読みやすさなんて気にする意味が無いのだ。それでもこだわっていた今までの自分がおかしいのだ。

 

さて、タイトル通りの内容に移ろう。

まだそれほど時が経っていない出来事について書くという羞恥・・・。

中学時代の自分というのは、完全に今の自分の基礎を作り上げたものであり、個人的には非常に重要な存在であったと考えているが、人間関係に関して言えば最悪だったと考える。

 

入学当時、僕は気づいたのだ。

自分がいかに狭いコミュニティの中にいて、かつそこに縋っていたのか。

 

小学校卒業と時を同じくして離れていった存在は大きかった。

僕は、小4からだろうか・・・小5からだろうか・・・そんな2,3年の付き合いであった彼と、その周りのコミュニティの中でのみ息をしていたことをはっきりと自覚した。

彼のコミュニティに入る以前にも2,3のグループの中で生きていたが、仲が良かったのはほとんどリーダー的存在の人物のみであり、その周りを取り囲む人物との関係というものは非常に浅かったと思う。

それに加え、最後のコミュニティに入ってからは殆どそれらのグループの人物との関わりがなかった。

小学校時代最後のコミュニティはもう少し広く関係を築けていた・・・と思う。

 

しかし、中学に入ったらどうだろうか、彼はいない。

コミュニティのメンバーは周りに溶け込んでいく。

独り沈殿している存在は居場所を失ったのだ。少なくともそう感じていたのだ。

 

彼は、リーダーとなることを嫌ったが・・・嫌がったが、実質的にはリーダーだったのだよ。

(他をグループとし、彼の周りだけコミュニティとしていることはそこに由来する。)

 

さて、沈殿物はどうしたか。

当たり前に誰もかき混ぜようとはしない。

溶け込むには、自ら溶け込むよう努力をしなければいけないのだ。

沈殿物は、そうしなかった。

沈殿物は、周りの溶質たちを観察し続けた。

沈殿物は、観察を、あくまでも喜々として行っているのだと自分に言い聞かせて、観察し続けた。

その結果、沈殿物の中で、溶質というもの・・・沈殿物を含めた溶質となりうる存在について、あれこれと性質が導き出され、それらの存在がどのようなものなのか固まってしまったのだ。

 

自分の居場所をなくした(と言うより、元々無かった)と感じたのは学校内だけではなかった。

家庭内においても同様である。

いつの間にか家族に対する接し方もわからなくなり、親とのコミュニケーションも取れなくなっていたのだ。

小学校時代はべらべら喋っていたのに中学に入ってから全く話さなくなったと何度言われたことだろう。

これに関しては、中学時代最大の失態と言えよう。

 

さて、そんな自称おませは中1の中盤あたりで国語が大好きになる。

国語教師の

「どうせ教科書やノートを家宝にするなんて人はいないだろう。だったら、バンバン書き込め。自分の分かりやすいようにノートを書け。」

という旨の発言に影響されて、国語のみ、ノートを自己流に書き込んだ。

教師の提示する課題に対して、

最低でも3つは根拠となる文を写し、更にその文のどの部分が根拠となっているのか、矢印で線を引っ張って、考えへと持っていった。

そんな書き方をしていたら、教師がノートを見て僕に発表を促すのだ。

発表の大嫌いな僕も、「これは褒められているのだ。」と内心上機嫌で発表をする。

そんな授業を何度も続けた。その間、僕が授業中に手を挙げたことはなかったが、毎時間発表させられていた。が、決して嫌ではなかった。

褒められるのだ。嫌ではない。むしろ、小学校時代は大嫌いだったはずの教科は最も好きな教科へと変わっていたのだ。

おませも単純なものである。

 

そんな、僕が最も尊敬する教師がある日、授業が始まる前に黒板が汚いことを指摘し、指導を始めた。

彼女の主張を簡単に纏めれば(纏まっているかわからないが)こうである。

「授業後には分からなかったところを質問しに来る人もいる。黒板はそんな授業に前向きな人物の意見を書く場でもある。そんなに熱心な人の意見を、このような汚い黒板に書くことは、嘆かわしいことである。よって、黒板はきれいな状態であってほしい。」

嘆かわしいという言葉の意味を理解しきれていない部分があるが、言葉が出てこなかった。すまない。

周りの反応はというと、「何故怒られなければいけないのだ。」といったものであった。

これは、もともと、彼女が多く宿題を出す人物であり、そういった面から嫌われていたということと、相手が思春期の人物であったからだろう。

僕はそれらを理解した上で、我が師に同情し、泣いた。

授業中に、静まり返った教室の中で(声は出さなかったが)しっかりと泣き、心配した師に連れられその場を離れて保健室へ。

泣いた理由は説明しなかった。

 

僕は嫌いな教師というものが少ない。と思う。

それは、教師は教師らしくあるべきだと考えていることによる。

教師らしさとは何かという点については、僕の中でもしっかりと纏まっているわけではないが、少なくとも、宿題を多く出す教師は、教師らしい教師なのだ。

その行為は、その教師の考えた最善の教育法であり、否定すべきではないと考える。

むしろ、しっかりと自分の考えた教育法に則って行動している、生徒のことを考えている教育者なのだと考える。

だから僕は、そういった教師はむしろ好きだ。

逆に、宿題が少ない教師であっても、恐らくそれはその教師の導き出した教育法であり、否定すべきものではないと考える。好きだ。

しかし、そういった考えを持たない人物が、宿題を多く出す教師を嫌おうが、その教師に対する愚痴を言おうが、気にしない。

人にはそれぞれの価値観があり、その価値観はあくまでも、押し付け、強要すべきものではないのだ。

という僕の中での三大原則を作るのであれば確実に入ってくる原則に基づいてね。

 

話が大きくずれた。

もう少しで中学校三年間の自分について語り終わる。

彼女の話は一年までである。

二年になってからは彼女はいないからね。

 

二、三年時の国語の教師は同じ教師だった。

あ、僕に影響を与える教師は、少なくとも中学の間は国語教師だけなのだ。

最初の反応を見るに、その教師は、我が尊敬する師から話を聞いていたのだろう。

僕のノートを見て、手を挙げていない僕に発表させるという行為を(恐らく)毎時間行った。

そんなことを続けているうちに彼女の中で、僕はませているというイメージが付いたのか、人生相談をされた。

正直、他の・・・例えば女子なんかにも同じことを相談していそうだけれども。

しかし、そんなことはどうでもいい。

彼女こそが、僕にとっての教師らしくない教師だったのである。

人間としては非常に面白い人物(funnyではない。interestingだ。)ではあったが、教師としては大嫌いだった。

・自分は(例を上げた上で)このように努力しているのだから授業が円滑に進むように協力してほしい。という旨の発言が度々。

・僕に人生相談を持ちかけた。

これだけで、僕にとって嫌いな教師になったのだ。

全く素晴らしい教師である。

 

書くことがなくなった。

本当はもう少し何か書くつもりでいたはずなのだけれど、幾度もの話題の逸れであったり、一時間以上にも及ぶ書き込みによってこんがらがってわからなくなってしまった。

 

本当は、今日の話題はまた伊藤計劃のはずだったのだけれど・・・。

まあいい、22時半ごろに書き込み始め、当初は普通に読まれる可能性に怯えていたけれど、やたらと長くなったおかげでいつもとそれほど変わらない時間になった。

 

ちなみに、僕のPCは、Google日本語入力は、"い"と打つだけで予測変換に伊藤計劃が出るようになった。

それと、GboardとGoogle日本語入力を使っていて最近思ったのが、変換クソすぎん?

あまり長い文を一気に変換すると変な変換のせいですごいことになる。

変な変換・・・。

 

次回は『ハーモニー』についてだ。

僕が伊藤計劃に酔った要因、アニメーション版『ハーモニー』。